2008年5月 7日 (水)

チューリップは魂で植える

春霞がやさしく被い、水平線がぼやける日本海側から見つめる北アルプスの連邦がなだらかな稜線を浮かび上がらせる日本有数の米どころ富山平野の春。皐月の薫風とともに水田が最もいきいきとする田植えのシーズンがやってくる。

稲作農家の一年が始まる。雪解けを待って、田に出て、畦を塗り、水を引き、田を起こし、しろうという一年間稲穂が巣立つ稲床を造る、また昨年秋蓄えた貴重なモミを風呂に入れ、発芽させ、苗床がら田んぼに植えるのである。日本の多くの地域文化は米とともに歩んできた。とりわけ米の単作地帯は水田を守り、代々その慣習を受け継ぎ、貧しさの中で家族が寄り添って生きてきた歴史である。考え方も保守的で、新しいものを受け入れる精神に乏しい。貧しい小作農家の冬は土方というきつい凍てつく雪の中での土木事業に男も女も わずか20銭の日雇い作業に汗を流してきた。

「何とか水田の裏作で収入が得られないだろうか」土方にも出られない体の弱い21歳の家族が多い小作農の長男砺波の水野豊造が登場するのである。豊造は貧乏の中で本を頼りに試行錯誤を繰り返し、庄川の扇状地の利点に着目し、チューリップの栽培を確立するのである。昭和27年には研究者の誇りである独自品種まで開発したのである。やっかみから荒らされたチューリップ畑から当時では例を見ない球根取りを発想。日50銭の収入を可能にし、農家の団結を大切に産地を形成し、地域振興を成し遂げたのである。豊造氏はまさにチューリップとの三味鏡の成果であった。

私の36歳のときご縁があって信州安曇野スイス村事業に関わらせていただいた。そのとき、3反の水田に、3万本のチューリップをみんなで植え、注目されたことがある。北アルプス山麓安曇野に揺れるチューリップのすがすがしかったこと。北アルプスを両側から見つめることに、苦笑しながら、砺波のチューリップ畑を渡る薫風に満足し、目を閉じながら、先人水野豊造さんの魂を感じている。

「薫風にゆったり揺れる砺波の夢」 星辰

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2008年3月26日 (水)

末子相続

 日本の国技である大相撲で、外国の力士ががんばっている。

 生活風習の異なる日本の相撲界に若くして入門し、厳しい稽古や上下関係を乗り越えて、立派な力士となることは並大抵ではなかったはずだ。日本人力士と同様、応援したいものであるが、その中でひときわモンゴル力士の多いのは同じモンゴリアンとしてうなずけるところである。 大草原の羊飼いを中心とする遊牧民族の結束は固い。

 古く元の時代には世界最大の王国を築き上げたが、その元を学ぶ中で「末子相続」という慣わしを学んだ。一箇所に定住することがなく、限りある草原を奪い合い、生き残るために敵対する部族との争いや部族が長く続くために権力の分散からか、末子相続方式がとったと聞いた。親が元気なとき、先に生まれ成長したものがあらゆる立場で、幼き弟を支え、導き、一つの和を維持し続けることが何より大切であったからだろう。

 長野県にも末子相続の慣習がある地域がある。諏訪地域である。田んぼが少なく、貧しかったこの地域は、長男、次男はまず外へ働きに出て、家計を支え、また外からいろいろな情報をもたらしたのである。そんな風土の中から新しいものにいち早く取り組む気風が培養されたのであろう。精密機械、寒天や新野菜のセロリなどのさきがけはこの諏訪地域であった。

 先日発表されたの日本の出生率は残念なことに1.39である。60%を超える家庭は一人っ子という計算になる。兄妹がいないということはさびしいものであろうが、兄弟のいない生活では、人として身につけなければならない「程々の精神」や「兄弟のために自分が犠牲になっても助け合う心」などは経験できないであろうと思う。

 私は4人兄妹弟で育った。よくけんかもし、助け合いもし、今を生きている。末っ子も40歳をとうに越えたが、互いに白いものが目立つようになった今も、余り顔を見せないのに何かあると必ず心の中に住んでいる。不思議なものであるしうれしいものである。その上 けんかばかりしていたのに、妹の弟も不思議と兄や姉の影響を受け、同じように成長しているように思えて仕方がない。

 少子化時代の一人っ子が成長し、この社会の中心になったときは、どんな社会風潮になっているのだろうか。やはり兄弟仲よくの儒教の教えで育ったものとは、異なる文化風習が主流となっているのだろうが、4人の子供たちに子供は大勢持ったほうがいいと話している。

  「けんかした 妹弟の涙に 育てられ」  星辰

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